蛍たちの森を残したい

About

相生山の会が思うこと

これからの名古屋に求められているのは果たして何か。未来に何を残さなければならないか。

1957年に計画された、名古屋市天白区にある相生山緑地を道路で分断する都市計画。
2010年、当時の河村市長は道路工事を中断しました。2014年には「これからは自然を大事に」と計画廃止を表明しましたが実現できず、計画のみが残る結果となりました。
2025年、広沢市長は議会で道路工事の再開を表明しました。

70年前に計画されたこの道路を通しても、ヒメボタルなど多くの生き物が生息する森を残すことはできるのでしょうか。

私たちは、地元住民のみならず広範な市民の皆さまとともに考え、市政・行政に確かな展望を提案し、その実現に力を尽くしてまいります。

About

相生山の会が思うこと

相生山の樹林の中には旧石器時代2万年前の人びとの遺跡があります。その頃にはもう、ヒメボタルは光っていたと思われます。
私たちが生まれてくる以前からつながってきた大事なもの、水や光や空気や土、虫や樹木や菌類や鳥たち。私たちは守られて生きてきました。
相生山に入ると、そのことを感じて楽しくなれます。だから相生山が好きです。

今、私たちが少しだけ利便性の追求を抑えることで、私たちを生かしてくれているものを壊さずに済むのなら、迷わず選びたいと思います。

相生山に道路は要らない。 

クルマが通る道ではなく、いのちがつながる森を残したい。 私たちは決してあきらめない。 これまでにつくってしまった構築物は「負の遺産」として未来に伝える、時代の目撃者になろう。

Our Background

活動の背景

1957年

弥富相生山線都市計画決定

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2004年

工事着手

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19××年

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19××年

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2×××年

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2×××年

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Our Background

設立の背景

【仮】相生山(あいおいやま)の豊かな自然を分断する、都市計画道路「弥富相生山線」。1957年の計画決定から約70年、多くの市民の声によって一度は「廃止」へと向かったはずのこの計画が、今再び動き出そうとしています。
なぜ私たちは今も声を上げ続けているのか。これまでの歴史の変遷と、再び森の命が脅かされる事態となった現在の状況をまとめました。

【相生山道路問題のこれまでの経緯】

  • gavel

    1957(S32)年

    9月

    弥富相生山線 都市計画決定

    日本が経済成長を遂げ、急速に車社会へと変わっていく中で、都市計画道路として決定されました。

  • 1973(S48)年

    4月

    名古屋市への所管移管と路線・名称の変更

    都市計画道路変更の記録には「2等大路第2類弥富鳴海線」(弥富町紅葉台~鳴海大形山)および「2等大路第2類相生山線」の名称変更等の記載が見えます。 所管が当初の建設省から名古屋市に移管されると同時に、周辺の土地利用状況の変遷に伴なう路線変更が為され、1980(S55)年9月「都計3・4・79弥富相生線」(起点同上~野並境根)として現在に至ります。

  • 1995(H7)年

    名古屋市による「相生山オアシスの森」整備活動の開始

    長期未整備緑地である相生山緑地の北部を「相生山オアシスの森」として整備する活動が名古屋市によって始められました。

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    2000(H12)年

    市民団体「相生山の自然を守る会」の発足

    名古屋市が住民説明会開催。 市民団体「相生山の自然を守る会」発足しました。

  • 2004(H16)年

    1月

    着工に向けた都市計画審議会の正式決定

    都市計画審議会で「線形変更」と着工に関する審議が行われ、 2月に決定しました。

    3月

    工事着手

    当初決定から約半世紀を経て工事が始められました。 しかし、都市に残された貴重な雑木林の森、ヒメボタルをはじめ野鳥や昆虫など多様な生き物が息づく自然が破壊されることから、多くの市民の批判・反対の運動は続きました。
    前年、藤前干潟はごみ埋め立て計画を撤回させ守られました。

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    2010(H22)年

    1月

    河村市長により「工事中断」

    自然保護を求める市民の声の高まりを受け、河村市長(当時)が環境保全の観点から工事の中断を決断。
    相生山の自然が守られるための大きな転換点となりました。

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    2014(H26)年

    12月

    河村市長により「計画廃止」表明

    中断状態が続いていましたが、道路計画の廃止が打ち出されました。 「建設済み部分を緊急車両は通す園路としてつなぐ」や「都市計画審議会での計画撤回」に向けた課題は残したものの、森の生態系はこのまま後世へ残されることが期待されました。

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  • 2018(H29)年

    世界の「AIOIYAMA」検討

    「道路を公園に」の方針のもと、「世界のAIOIYAMA検討会議」が発足し、市民団体との協議も始まっていました。しかし、道路推進派の市議らと一部団体の請願により、この構想は事実上の廃案となってしまいます。その結果、「道路と緑地を分けて計画を進める」という方針へと転換されることになりました。

  • 2024(R4)年

    相生山緑地ビジョン策定

    道路用地を除く緑地の将来図が示されました。市民団体を交えた現地見学や会議を経て検討されたものです。その一方で道路問題は棚上げされたままであり、緑地や周辺全域を含めた生態系の十分な把握など、解決すべき課題が残されています。

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  • gavel

    2025(R7)年

    11月

    広沢市長より「折衷案による工事再開」表明

    河村前市長の「後継者」と公言した広沢市長が市議会本会議にて突如、一般車も通す「折衷案」による道路工事再開の方針を打ち出しました。 計画から70年、工事中止より16年、自然が再び脅かされる事態に直面しています。

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    2026(R8)年

    2月

    市長発言の撤回を求める署名 15,374筆提出

    工事再開に反対し相生山の自然を守り抜こうと、短期間で1万5千筆を超える市民の切実な声が集まりました。 3月「折衷案」についての市民説明会、R8年度予算に建設に関わる調査費予算が策定されましたが、私たちは計画の白紙撤回を粘り強く求めていきます。

名古屋市が公開している詳しい経緯の資料は、以下の公式ページよりご確認いただけます。

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 [名古屋市公式ウェブサイト:弥富相生山線の経緯について(資料2ページ目)]

Access

相生山へのアクセス

〒468-0037
愛知県名古屋市天白区天白町大字野並稲田2005−57

Googleマップ

ぜひ一度足を運んでいただき、相生山の豊かな自然に触れ、その息づかいを感じてみてください。